ビジョナリー・カンパニー2 メモ 1

ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則を読み始めた。 書籍自体は 2001年のもの。 20年前のものということで古典に当たると思うが、普遍的な発見が語られているのであれば現代でも通用するはず。

まず本のテーマが興味深い。

良い企業は偉大な企業になれるのか、どうすれば偉大な企業になれるのかという疑問、そして、どの組織にも適用できる普遍的な答え、時代を超えた答えの追求が、本書のテーマである。

著者は好奇心に駆られてこの疑問に答える道を選んだと述べている。

「偉大な企業」の定義は、15年にわたって株式運用成績が市場並み以下の状態が続き、転換点の後は一変して、15年にわたって市場平均の三倍以上になったこと、としている。ただし、産業全体として同じパターンを描いている場合は除外している。 つまり投資していたらインデックスファンドに投資するより3倍以上儲かるように変身した企業が対象ということだ。

飛躍した企業に挙げられていた企業についてはほとんど知らない。。 ジレットフィリップ・モリスウェルズファーゴはわかるが、それ以外は知らない企業だった。

本が書かれてから20年が経過している今なら、偉大な企業のその後を調べることもできる。 今度やってみよう。

偉大な企業へ飛躍した企業を調べていく上で「吠えなかった犬」つまり、直観に反してやっていなかったことがいくつかリストアップされている。私の気になったものは次。

・飛躍した企業は、偉大になるために「なすべきこと」に関心を集中させたわけではなかった。それと変わらぬほど、「してはならないこいと」と「止めるべきこと」を重視している。

・飛躍した企業は変化の管理、従業員の動機付け、力の結集にはほとんど注意を払っていなかった。条件が整っていれば、士気、力の結集、動機づけ、変化といった問題はほぼ消滅する。

なすべきことに関心を集中させることと飛躍とは関係がないというのは面白いし、チェンジマネジメント、集中、モチベーション管理も同じく飛躍とは関係ないという。 そういわれると、何が違うのか気になるし、この後を読むのが楽しみになってくる。

飛躍を指揮したリーダーは、万事に控えめ、物静か、内気といった特徴を持ちながら、同時に会社を偉大なものにするには熱狂的ともいえる意欲を持ち、何でもするという意思を持つ。自分を偉大にするためではなく、会社を偉大にするためというのが偉大な企業の経営者の特徴の様だ。 そのような人たちのことをこの本では第五水準の指導者と呼んでいる。

筆者が研究の早い段階で「経営者を無視しよう」と主張していたにもかかわらず、無視できないほどの違いが調査から明らかになった点は面白い。

各水準は次のように定義されている。

  • 第一水準: 有能な個人
    • 才能、知識、スキル勤勉さによって生産的な仕事をする
  • 第二水準: 組織に寄与する個人
    • 組織目標の達成のために自分の能力を発揮し、組織の中でほかの人たちとうまく協力する
  • 第三水準: 有能な管理者
    • 人と資源を組織化し、決められた目標を効率的に効果的に追及する
  • 第四水準: 有能な経営者
    • 明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するよう組織に刺激を与える
  • 第五水準: 第五水準の経営者
    • 個人としての謙虚と職業人としての意志の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる

キンバリー・クラークを再編したダーウィン・スミスの例では、中核事業のコート紙の製造販売では偉大な企業になれないと製紙工場を売却し、消費者向け事業に売却代金を振り分けたストーリーが紹介されている。これが万事に控えめといっていいのだろうか。かなりの大ナタを振るっているように見える。外部に向けて喧伝しなかったという意味だろうか。

比較対象企業では、第四水準の経営者が出てくる。第四水準と第五水準との大きな違いは、第五水準の経営者では経営者が一線を引いた後に業績が傾かないこと。持続できる企業を作り出すことに力を注ぐもののことを第五水準と呼んでいるので、ある意味では定義通りかもしれない。